ウクライナのスナイパーがロシア将軍を射殺したことがニュースになっています。
そこでロシアの狙撃手黒歴史にも注目が集まっています。
今回はシモ・ヘイへのプロフィールや生い立ちや性格・顔画像まとめや伝説の銃スナイパー記録を調べてみました。
シモ・ヘイヘとは?プロフィール
- 名前:シモ・ヘイへ(Simo Häyhä)
- 誕生:1905年12月17日
- 忌日:2002年4月1日(享年96歳)
- 出身:フィンランド
- 所属組織:フィンランド国防陸軍
- 軍歴:1925〜1940
シモ・ヘイへはフィンランドの軍人。
フィンランドとソビエト連邦の間で起こった冬戦争では、ソビエト赤軍から“白い死神”と呼ばれ、恐れられた。
愛称は「シムナ」。フィンランド現地語の発音にあわせる場合、シモ・ハユハ、もしくはシモ・ハウハと表記するのが近い。
「白い死神」名前の由来【シモ・ヘイへ】
白い死神」の名前の由来
平均気温-20℃から-40℃という極寒の中で、純白のギリースーツに身を包んで狙撃を行ったことからそう呼ばれるようになりました。
ちなみにギリースーツとは主に狙撃手やハンターが使用する迷彩服の一種です。
シモ・ヘイへの生い立ちや性格
【シモ・ヘイへの生い立ち】
現在のロシアとの国境近くに位置する小さな町ラウトヤルヴィで生まれる。
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軍人になる前は猟師兼農民として働いていた。20歳の頃に民兵組織「白衛軍」に加入。
射撃の大会にもたびたび参加し、彼の家にはその腕前によって得た多くのトロフィーが飾られていた。
農家での仕事の昼休憩の際、他の男性陣は昼寝をするのだが、ヘイヘだけは昼寝をせずあらかじめ森の端につけておいた目標をめがけ建物の窓から空砲で狙撃練習を繰り返し行った。
全員が起きてくるまで撃ち続けていた。
【シモ・ヘイへの性格】
記念写真では立ち位置を指定された場合を除き、常に後列か他人の影に隠れて写っている。
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博物館所蔵のヘイヘを含め3人で写っている一枚の写真には『自分の姿は切ってしまっても構わない』と直筆の手紙をつけたほどの慎ましさであった。
晩年のインタビューでは質問された内容に回答するのみでそれ以上の話はしなかった。
戦時中もマスク姿で顔を隠していました。
口元の歪みを気にしていたのでしょうか…?
シモ・ヘイへの顔画像まとめ
シモ・ヘイへ顔の歪みの原因とは?
赤軍の銃撃で歪んでしまいました。
冬戦争終戦直前、1940年の3月にソ連軍兵士による抵抗狙撃を受けました。
その時に左下顎が吹き飛び、治療したが顔が歪んだ状態になってしまいました。
「彼の頭は半分無くなっていた」と当時ヘイヘを収容した兵士が語っていました。
シモ・ヘイへ伝説の銃がスナイパー史上最多の記録
シモ・ヘイへはスナイパーとして、史上最多の確認戦果542名射殺の記録を残しています。
その当時、旧ソ連軍はフィンランドの侵攻によって起きた冬戦争で(1939~40年)狙撃戦で大きな被害を受けました。
フィンランド軍は戦車などを前面に出した、強大な火力のソ連軍に対抗するために猟師を狙撃手に動員。
シモ・ヘイへはソ連軍将兵の間で、恐怖の対象だったそうです。
542名は驚きの数字です。
そして享年96歳というのは、当時だとすごく長生きだと感じます。
そんなシモ・ヘイへがSNSでも話題になっていました。
いくつかピックアップしてご紹介します。
シモ・ヘイへTwitter反応まとめ
フィンランドからウクライナへシモ・ヘイへを1000人ぐらい送ろう
スナイパーって言うとすぐシモ・ヘイへの名前が出て来るけど、あの人のキルレート引くレベルやから比較にならんぞ
シモ・ヘイへってワイが生まれたときにはまだ生きてて衝撃
子供には教えにくいが、たしかに偉人である シモ・ヘイへ
良い勉強になりました。
シモ・ヘイへまとめ
現代にシモ・ヘイへ並のスナイパーはいるのでしょうか?
もしいたらどうなっていたのだろうと考えさせれます。
そして彼の鍛錬には尊敬します。
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